西洋哲学史(2)

『西洋哲学史』(邦訳,みすず書房)読了.
分冊2の訳者解説によれば,ラッセルの「西洋哲学史」はおもに国家の仕組みや政治・法律・教育などの制度と哲学・思想との関連をとくに力をいれて叙述し,それらをあきらかにするものだという.たとえば中世哲学ではその枠組みをつくりだした教会や修道院制度,さらに法皇と皇帝との政治的対立の歴史などが細かく記されている.
分冊3では近代〜現代の哲学が取りあつかわれている.哲学というだけで何やら偉いもののようだと崇めるくせのあるこの読み手にとって,各哲学者にかんするページの半分近くがそれぞれにたいする批判であったことは新鮮であり,また自らがどれだけ惰性で(というよりも単なる雰囲気や権威主義によって)物事をみているか,思い知らされた.

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以下,分冊3に,先日記したことと関連する興味ぶかい記述があったので抜粋(pp.582-583.).

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この世界が神に創造されたとして,その神が全能でありかつ善をのぞむ性質をもつのであれば,なぜこの世界には悪がふくまれるのか.この「悪の問題」についてライプニッツは以下のように答える:

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世界は論理法則と矛盾しないかぎり「可能」である.そのような世界を可能世界と呼ぼう.神は世界創造に先だちあらゆる可能世界について思索した.そしてもっとも最善なる世界,悪と善との差引勘定において善の度合いがもっとも大きくなる世界を現実世界として創造した.
現実世界には悪がふくまれている.これは大きな善の幾つかは論理的に悪と結びついているからである.たとえば自由意志という善と,それにより罪を犯すという悪である.自由意志は一つの大きい善であるが,人間に自由意志を与えてかつそれによる罪は起きないような世界を創造することは論理的に不可能だった.
このようにしてできた現実世界は他の可能世界にくらべてもっとも善が過剰にある世界,もっとも最善なるものである.それゆえ現実世界に悪がふくまれているとしても,それは悪を含まない世界を神が創造できなかったということの証拠にはならないし,神の善性にたいする反証ともならない.

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悪の問題にたいするライプニッツの回答は論理的に可能ではあるが反論の余地のあるものだ.たとえばマニ教徒なら次のように反論するだろう:
この世界はあらゆる可能世界のなかで最悪のものである.世界のなかの善なる事物は悪を高めるために役だつにすぎない.この世界は邪悪なデミウルゴスにより創られた.デミウルゴスは善なる自由意志を許容したがそれは悪である罪を生じさせるためであり,罪が生じればその悪は自由意志の善を凌駕する.デミウルゴスは善い人間を創造したがそれは彼らが悪人によって罰されるためである.それはきわめて大きな悪であり,この世界を善人がまったくいない場合よりも,より悪くするのだ.

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